『教育熱心』と『教育虐待』について
タイトル名について誰もがヒヤッとしたことがあるのではないかと、保護者でもある私の思いをつづりたいと思います。
メディアで目にしたこの言葉について、私なりに考えさせられました。
というのも、両親が私を育ててくれたやり方、特に「教育」の分野においては真逆な方法で、私は娘二人を育てているからです。
私は両親から「教育」の分野において、何一つ「勉強しなさい」と言われて育っていませんでした。
勉強を強いられた記憶、嫌な記憶など一切ありません。
高2で渡米し1年間の留学を経験しましたが、よく、私の両親がそのような道をみせていた。とか、私が気づかないところでそういう線路を引いていた。とか、留学できる環境であったことがうらやましい。などちょっとした批判的な意見もずっと受けてきました。
しかし、ずっと腑に落ちないでいました。
なぜなら、本当に私の両親は何も知らなかったからです。
英語が好きだった中3の私は、自分で全て調べ上げ、この高校に行ったら留学制度があるなどを両親に伝え、進学の許可を得、しかし両親は全く鵜呑みにしておらず、試験も合格しないだろうと思っていたようで、高校1年生の秋に「京都で試験があるので受けたい。」と伝え、一人で出向き、受験し、10月に「合格した!」と伝え、そこから本格的に動いてくれたくらい、本当に英語も教育も無頓着な両親でした。
よく言えば、私の思うようにさせてくれた寛大な心の持ち主だったと言えますが、
本当に無知なのです、こういう分野において。
そして私の両親は当時珍しい共働きサラリーマンのため、「英語」とか「外国」とかのフレーズに構っている暇などなかったのです。
(これは1980年代、70%以上が専業主婦家庭であったことをのちに知り、とても納得しました。私の母親は正社員でしたので、私も働いていてわかりますが毎日時間に追われ、情報収集も当時は容易ではなかったと思います)
しかし、鮮明に覚えているかけられた言葉は「好きなことが一つでもあるならそれを突き進めばよい。」と。
数学が大嫌いな私で、尚且つ、留学後、「もう1年、高2をしたくない」という、私の私立大行きの決定なども考慮してくれていたようです。
実際には、第一志望の外大の4年生は流石に受験勉強をせず、帰国子女枠も受けずとなると受験英語では厳しく、結果短大卒となりましたが、こうして自分で起業してなんとか生計を立てれるくらいにまでにはなっています。
こんな私は、娘たちには「勉強しなさい」と言わない日はありませんでした。娘たちもきっと同じことを言うと思います。
アメリカに行く前の勉強法、行った後の生活、勉強法、帰国後の受験、なぜ、私に帰国子女枠をちゃんと取らせないままだったかなど、両親の情報量やセンサーによって異なるがゆえ、目の前のチャンスを逃したような気になり、自分が経験した数々の遠回りを道標として提示しながら彼女たちのやりたい道の応援をしているつもりです。
しかし、それが「傲慢」に値するかもしれません。
私自身、「教育熱心」でもなく「教育虐待」を受けた思いもありません。
今度は私が親となり、子どもに教育をしている立場です。
私の中での娘たちへの「育児教育」の自信は、強いて言うなら、娘たちが全く私の興味と相反することに興味関心があり、それを貫いているということ。
要するに、「英語」「言語」には全く興味がないのです。
そこが、私の中で、ちょっとホッとする箇所でもあり、しかし本音は残念な箇所でもあり、とても複雑な感情が動きます。
もし、娘たちのどちらかが、外国語に興味があれば、必ず海外に目を向けるし、行きたくなるだろうし、言語の楽しさ、その言語の魅力、コミュニケーションなど数々の共有が出来ます。
そこで私にはもう一つ、
それを満たしてくれているこの仕事があります。
目の前のマイティ生は英語が好きな子たちもいて、彼らの吸収力はすさまじく、質問内容の観点も面白く、私に常に刺激を与えてくれます。
「教育熱心」は素晴らしいことだと思っています。
マイティの保護者の皆様もとても教育熱心です。
「教育熱心」と「教育虐待」の違いは、子どもに自分を投影させないことでしょうか。
紙一重のようでとても怖いネーミングだなと思いましたが、そばで我が子の勉強をみながら、それを楽しむ。
楽しめなくなると、一旦離れる。
「子どもと自分は別人格」「子どもの幸せが自分の幸せ」「子どもの笑顔が全て」であれば、怖いことに進まず、明るく、希望に満ちた「教育」と「未来」がくっついている気がしています。