【NEW】我が子の学校選び
久々に訪れたぎんがの郷小学校。
直接訪問し、校長先生、教頭先生のお話を伺い、オープンスクールにも行き、電車に乗り、大門駅からテクテク歩き、よし、この距離なら問題ない、通わせれる!と判断した小学校でした。
10数年前、母である私の決断です。
「何かあったときに歩いて学校にかけつけることができない。そうなったときどうする?」
「電車でなんかあったらどうする?」いろいろ夫に聞かれたことを全て納得させてみせる!と説得して通わせた小学校。
何かあったときは、私が駆けつける!と、春日台に英語教室を構えて経営を始めたことが自営の始まりです。
小学時代は親子時代で、このようにゆっくりコーヒーでも飲みながら懐かしく穏やかに過去を振り返るなんてとんでもなく、本当に仕事との両立や学校行事、家の中も何かしらの音(話し声、歌声、足音、喧嘩などなど)で溢れ、母子の二人三脚感はあのころがピークだったように思います。幼稚園時代とは異なる忙しさがあったと感じます。
娘二人が通う中で、電車トラブルはそれぞれの娘におきました。
降りなければいけない駅で降りず、そのまま福塩線に切り替わり、降りた駅は横尾駅の無人駅。
小学2年生の夏、1学期が終わる頃で手荷物いっぱいで、片方の肩からはスカートの吊り部分が下がり、帽子はおでこまで上がっており、ぶすっと待っていた娘の顔を今でも覚えています。当時の班長が学校に電話をしてくれて発覚し、学校や班長から謝罪の電話をもらい、そんな!そんな!我が娘がみんなと違う行動をとってしまっただけなのに!と申し訳なくもあり、周りの温かさにただただ感謝の気持ちでした。
次女に至っては、小学4年生のころ警察沙汰になるようなトラブルに巻き込まれ、それもまた銀河学院の卒業生が一役買ってくれました。見慣れた制服で分かったようで学校に連絡が入りました。卒業生の下級生への思いは温かいなと感じました。
次女も取調室での宿題をした経験は後にも先にもあの日のみです。また、警察署の中はこんなにも節電モードなのかと、母の私はいろいろ大人目線でキョロキョロ興味深く観察していました。
このように、夫が心配する以上のトラブルもありました。
トラブルは予想外、想定外がつきもの。
そうなったときに慌てず対処することが親の務め。と、私も解釈するタイプですし、なにより、娘たちが上級生になった頃には、それぞれ班長となり電車内ルールが身に付き、下級生たちを守っていたので電車通学もいい経験だったのではと思います。
土曜日も授業があり、帰宅は夏は18時、冬は17時30分、参観日は土曜日、PTA役員活動も土曜日または平日午前中など、午後からメインの仕事の私の生活スタイルにピッタリ合っていたのも選んだ理由の一つです。
仕事時間の都合上、母である私自身が母親業をしやすい環境でもありました。
世の中は少子化に伴い、学校全体の児童の数も年々減っています。
以前、女子校の有無についてもこのブログに書かせていただきました。
私自身が女性であり、娘しか育てていない背景からか、女の子を育てること、女の子は女性になり、大人の女性とは、選択肢が多く、どの選択肢も尊い生き方であることに興味関心があります。
21歳の娘、18歳の娘、それぞれから、ぎんがの郷小学校に通わせてくれてありがとう。と言われた経緯もあり、小学校のこれからの繁栄をそっと見守っています。
久々に訪れた木造校舎は当時のまだ新しい頃に比べ、趣のある色合いになっていました。ここでたくさんの出会いがあり学びがあり、母としての学びもたくさん経験できました。